「べんきょうがすき」
娘が、春に小学校へ入学する予定です。
日頃から、「小学生になったら」を意識することも増え、
自分から勉強をしたがり、カタカナの練習や漢字のドリルなどを開いて
難しい顔をしています。
わたしも勉強することが嫌いではなかった、むしろ好きな方でした。
だから、中学受験に挑もうと思ったのだと思います。
けれど、ずっと思っていたのです。
わたしは、どうしてあえて受験をすることにしたのだろうと。
娘の小学校入学を控え、市からお手紙が届きました。
〇〇小学校へ入学させてください、と。
受験をする選択肢もあるけれど、
そうでなければ進む先は決められているのか、と思いました。
もちろん、その選択に余地や自由があることは十分理解しています。
けれど、届いたお手紙に並んだ文字に、
「はい、そうさせていただきます。〇〇小学校へ入学します」と納得しながらも、
自分がした中学受験という選択を、ふと思い出していたのです。
私は、あのとき、自分の進む先が決まっているなんて、
用意されているなんて、少しも思いもしていなかったんだと。
幼いから、未熟で、想像力が乏しくて、井の中の蛙なのだから仕方がないことです。
ただ、わたしは、とても自由に、その選択をしたのだと、選択をさせてもらえたのだと、
感謝と同時に、そのときの自分をようやく理解できたような気持ちです。
ここ数日、娘は「いまからおべんきょうタイムだから」と言い出し、
いそいそと机といすを決めた場所に並べて、えんぴつをいそいそと走らせています。
今朝、娘たちが出かけたあと、とてもささやかだけれど、
リビングの一角に小さなおべんきょうスペースを作りました。
そんなふうに思うがまま感じるままにいてほしいな、と思いながら。
けれど、自由でいられたとしても、意外と本人はそのことに気が付きづらく、
ときに厳しくて、心許ないものだということも、知らせてあげなくてはと思うのです。
----------------------
春がやってきますね。
今朝、ふとそう感じました。
のびやかにはじまるといいなと、そう思いました。
明日は節分。冬にためた厄を払って、健康に。
そんな願いも込めて、きょうもあすもご機嫌に。
0コメント